ことのは word

 イスラム教の聖典は、コーランです。
アラビア語で書かれています。
アラビア語以外のコーランは、価値がありません。
 これは、どういうことか考えてみましょう。
たとえば、漢詩が、いい例です。
「春眠不覚暁
 処処聞啼鳥」
これを日本語に訳すると、どうなるか。
「春の朝の眠りは、気持ちがよくて、
夜が明けることも気づかなかった。
あちこちで鳥のさえずる声が聞こえる。」
 さっぱりでしょう。
格調の高さが、全然、なくなったでしょう。
この漢詩の形式は、五言絶句と言います。
 この形式だからこそ、
格調も高く、発音すれば、美しい響きとなるのです。

言葉には、力があるのです。
言葉には、響きがあるのです。
言葉は、楽器なのです。
調和された言葉は、楽器であり、音楽なのです。
 それゆえ、コーランを日本語に訳しても、
価値がないのです。

 しかし、世界史を見ると、例外があります。
代表的なところで、仏教です。
仏教の開祖は、釈迦です。
釈迦は、インドで、法を説きましたので、
仏教の聖典は、漢文ではありません。
 しかし、漢文で書かれた仏教も、力があるのです。
なぜでしょうか。
これは、仏教を漢文に翻訳した翻訳者が、
単に、仏教に詳しかっただけでなく、
仏教的な悟りを得ていたのです。
高い悟りを得た者が、仏教を漢文に翻訳したのです。
これで、漢文の仏教は、力があるのです。
 さて、キリスト教はどうか。
キリスト教も、外国語に翻訳しても、力があるのです。
なぜか。
これは、イエス・キリストが詩人だったからです。
宗教家であると同時に、詩人だったのです。
だからこそ、普遍性があり、全世界に広まったのです。

 今後、イスラム教の悟りを得た者が、
コーランを訳せば、
そのコーランも力を持つでしょう。












































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